EXHIBITION
"展対照 〈第一部〉|Tentaishow Part 1"
佐内正史 / Masafumi Sanai
2024.4.26 fri - 5.19 sun
at Vacant/Centre
入場無料 | Admission Free
金土日のみオープン | Open Fri - Sun
営業時間 | Opening hours 13:00 - 18:00
90年代を代表する写真家として様々な媒体での仕事をはじめ、多くの写真集を発表してきた佐内正史。2008年にスタートさせた自主写真集レーベル「対照」では、より独自性の高い写真集を、これまでに16冊制作してきました。
Vacantでは2012年に、「対照」の写真集の解体を試みるイベント『解対照』を開催して以来、佐内の活動を追いながら、共に対話を続けています。
今回新たな試みとなる『展対照』では、「対照」で発表してきた写真集から選出した写真作品の展示・販売を行います。本展は〈第一部〉として、『写真の体毛』、『度九層』そして『島島』のアウトテイクから約30点の写真が並びます。展示される小さなサイズの手焼きプリントは、展対照限定のプリントとして販売します。
写真を巡る道程が、またここにひとつ切り開かれていきます。
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佐内正史(さない・まさふみ)
写真家。1968年静岡生まれ。1995年第12回キヤノン写真新世紀優秀賞受賞、1997年に写真集『生きている』(青幻舎)でデビュー。2003年、写真集『MAP』(佐内正史写真事務所)で木村伊兵衛写真賞を受賞。2008年に自主写真レーベル「対照」を立ち上げ、これまでに数多くの写真集を発表している。国内外で展示やライブパフォーマンス行う他、曽我部恵一とのユニット「擬態屋」で、佐内の詩と曽我部の音合わせをしたサウンド作品『DORAYAKI』(2021年)をリリース。2024年には映画『i ai』(監督・脚本:マヒトゥ・ザ・ピーポー)の撮影を手掛けるなど、多方面に活動を続けている。
主な個展:「静岡詩」静岡市美術館(静岡、2023年)、「ラレー」NADiff a/p/a/r/t(東京、2012年)、「対照 佐内正史の写真」川崎市岡本太郎美術館(神奈川、2009年)など。
主なグループ展:「日常のなかの予期せぬ素敵な発見」東京都写真美術館(東京、2023年)、「2020 Seoul Photo Festival: Unphotographical Moment」ソウル市立北ソウル美術館(ソウル、2020年)など。
www.sanaimasafumi.jp|www.instagram.com/sanaimasafumi
あらわな光
佐内さんのプリントの美しさをあらわすのは難しい。
カメラという機械をつかって、その瞬間の光をフィルムに焼き付け現像する、その何度かの光の「反射」によってプリントがつくりあげられる。一方、普段僕らが目にしているデジタル処理を介したイメージは、1と0の情報へと変換される過程で、何かを「伝達」する役目を負わされてしまう。
窓の外の光が僕らに何も訴えかけてこないように、このアナログプリントは、僕らに何かを伝えようとする押し付けがましさがない。世界に降り注いでいる波長を、僕らが急に「午後の心地よい光」と認識するように、佐内さんの写真もまた、僕らがはたと見つめるまで、只々この世界を漂っているのかもしれない。
そして目に映る写真のなかの風景は、自然物のような優しさと危うさを湛えて、空の青さや水の冷たさに、何度でも出会い直させてくれるのだ。
わかちあう時間の風景
写真にまつわる対話を続けてきた佐内さんと、初めてと実現した展覧会。写真のみを並べた潔い構成のなかに、さまざまな企みや想いを込めています。
その基底を成しているのは、佐内さんのアトリエで一枚一枚焼かれるプリントの美しさを伝えること。そしてそれが裏打ちやマットでおさえられた「平面的」な写真としてではなく、プリントそのものの「質量」を感じられるように観てもらうこと。佐内さんのアトリエを訪れたときに、とても丁寧な手つきでプリントを手渡されて、この手に持って眺めるあの感覚。自分で初めて暗室で焼いた写真を、部屋にテープで貼って飾ったあの記憶。
額装は総アクリルの特注で、なかに収めたプリントが、掛けた壁からほんの少し浮いたように見え、裏に影が落ちる。額の台座に、アシッドフリーの両面テープをひとつひとつポンチで丸く抜いたもので、プリント3点を留める。だから日々の天気によって、角が反ったりする。額のなかにスッと落ち着いた写真はもちろん素敵だけれど、プリントが「生きている」ように日々動く。それはとても佐内さんらしい写真の在り方だと思う。
今回展示されている全ての写真が、そのA4サイズのアクリル額に収まる小さなプリントになっている。それは部屋の何処かに飾って、毎日のように目で「触れて」欲しいから。写真という存在そのものが、ここ数十年で様変わりし、その大半がイメージデータとしてやり取りされているいま、デジタル処理を全く通さない「光の芸術」としての写真を眺めることの大切さを想っている。そういったものを日常生活のなかに招き入れ、据えること。写真に定着された光に、毎日出会い直すこと。同じ写真でも、人それぞれ見方が違うし、その人の気分によっても別物のように見えてくる。佐内さんが撮る「曖昧な」風景は、そういった自分自身の毎日の変化の機微に気付かせてくれる、不思議な力が宿っているように感じるのだ。
展示されているプリントを眺め渡して、佐内さんはそれを「赤ちゃん」のようだと言う。「これから育っていくんだろうね」と。誰かの部屋に飾られて、見守り見守られ、時間を共に分かち合っていく風景を想像しながら、「そうですね」と僕は答える。