偶然
#Masafumi Sanai, #interview
解対照〈第一部〉(2012.04.01) アーカイブ#1 「偶然」 永井祐介(以下、永) 今回のために対照の教科書を作りました。右ページに写真を載せて、左ページにはキーワードとして佐内さんと僕が出した言葉を並べています。 1枚目の「偶然」からいきましょう。
佐内正史(以下、佐) 元々俺は 偶然というのが1番強いんじゃないか 、と思っているんです。
(永)写真がどうやって撮られたか、撮影場所はどこなのかといった、制作の背景に関わってくるお話ですね。
(佐)そうですね。次に書いてある「俺の土手」という言葉に繋がるんですけど、昔上京して、色々あった中で見つけた、「ここは俺の土手かな」っていう場所があって。
(永)はい。
(佐)しばらくして、ロケハン(撮影地の下調べ)に行くことがあって、寝て起きたら、なぜかその「俺の土手」に着いていたんです。江戸川の広い土手に。「これはすごい偶然だ」と思って、撮った一枚なんですけど。 この土手は、1番最初に出した『生きている』という写真集の作品と同じ場所なんです。だから15年ぶりくらい経過して、そこにまた立っている。しかも自分で行こうとしたわけじゃなくて、知らない間にそこにいたということが 「 写真っぽい 」 なってことですね。
(永)その「写真っぽい」というキーワードは後ほど出てきます。こちらは 佐内さんにとって印象的な一枚だということでしょうか?
(佐)そうですね。計算よりも偶然の方が強いのではないかという、そういう写真です。 キーワードとして「出会い」と書いてるんですけど、この頃に東京へ出てきて、音楽家たちに出会ったりしまして。
(永)ここに中村一義さんの名前を書いているのはどうしてですか?
(佐)最初にあの土手に行ったのが、中村くんと一緒だったんです。だから、はじめは「中村くんの土手」だったんだけど、 だんだんと「俺の土手」に変わっていったんですよ。
(永)中村さんに写真集『パイロン』を見せた時、 「彩り」という言葉が出てきたんですよね?
(佐)パイロンって割とシックな色で、派手な色のものはないんですね。だけど中村くんに見せた時に「彩りがある本だ」っていう風に話してくれて、自分では彩りについてあまり意識していなかったんですけど、後から自分で見返してみたら、確かにいろんな彩りを感じたんだよね。写真集を作るとき、写真を「次はこの色、次はこの色、で、全体はこういう色にしよう」って直感で大体並べていくんですけど、 その過程で知らない間に色を体験していて 「あ、俺すごい体験したんだな」って思ったんですね。
(永)僕が展示 (※2011年末に東京・中目黒「IMPOSSIBLE project space Tokyo」で行われた写真展『パイロン』のこと) を見た後に、佐内さんとお電話したときにも「色を体感しちゃったんだよね」って。「色自体を今まで自分は否定してきたのに、この『パイロン』ができて、それを表現してしまった」と仰っていました。
(佐)元々は「写真が映ることのすごさ」が優先していたんだけど、そのことは置いておいて、もう少しちがう、写真の魅力みたいなものがあるんじゃないかと思ったんだよね。つまり 「写真を撮るときの機能」と「写真を見るときの機能」が結構違う 。その辺りを意識するようになったということですね。
(永)次の「対照」という言葉に繋がるのですが、佐内さんが『対照』というレーベルを立ち上げて、写真集を作るという活動自体が、そうやって自分の写真を見直すためにやってる行為なのかもと感じるのですが。
(佐)最近は、 ぼんやりとした記憶を作っていきたい と思ってるんですよね。自分の活動は結局のところ、そういうことなのかもしれない。 写真家に「佐内さん、どうしてこんなことやってるんですか?」とか聞かれるけど、ふつうに生きててもそんなことわかんないじゃない。でも、ある朝目が覚めて、なんかぼんやりとしたことが残ってて「それでいいか」と思ったんだよね。夢みたいな、 そういうのをちょっと撮っていきたいというか、そういう状態でありたいってことなのかな。
(永)前に佐内さんが「写真は自分より上だから、写真を目指してるんだ」と仰っていて。
(佐)そんなこと言いました?
(永)言ってました。「自分じゃなくて、写真をもっと出していきたい」というような。
(佐)そうですね。もう少し写真に目が行ってもいいなと思って。
(永)それは個性を消すみたいなことなんですか?
(佐)自分を消すっていう表現は、しっくり来てないかな。自分と、自分の「スタンド」 (※荒木飛呂彦の漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズに登場する架空の超能力) というか。
(永)ジョジョトーク、きましたね。
(佐)自分の幽霊みたいなものが撮ってる感じがするんですよね。 自分が撮ってるっていうよりは、自分と自分以外のもの、 自分の霊が撮ってるような感じですかね。
(永)僕が伺ったトークイベントでは、「写真が7で、自分が3ぐらいの割合で今は撮ってる」と仰っていました。
(佐)例えば、知らない街でも2時間ぐらい歩いていると、なんか馴染んでくるんですよ。それで馴染んできた時に、急に撮れるような感じがあって。疲れとかも関係するのでしょうけど、自然に無理なく、街に馴染んでいくんです。今日の教科書の最初に書いていますよね。「なじむ道」って。
(永)これはどういうことですか?
(佐) 人それぞれに「なじむ道」というのがあるんじゃないかな と思って。それは同時に厳しい道を行くということでもあると思うんですけど。
続く/To Be Continued