生きる芸術のことばより。
『風景でいよう/Scenic World』 #10
#Scenic World, #writing
『芸術は爆発だ!』そう言い放った岡本太郎という人間は、時代とともに劇的に変化していく芸術の形式(スタイル)や流行(トレンド)ではなく、それが生まれてくることの必然性、その存在の絶対性についてこう語っている。
『まことに、芸術っていったい何なのだろう。素朴な疑問ですが、それはまた、本質をついた問題でもあるのです。芸術は、ちょうど毎日の食べものと同じように、人間の生命にとって欠くことのできない、絶対的な必要物、むしろ生きることそのものだと思います。(中略)すべての人が現在、瞬間瞬間の生きがい、自信を持たなければいけない、その喜びが芸術であり、表現されたものが芸術作品なのです。』
(『今日の芸術―時代を創造するものは誰か』岡本太郎)
「生きていることそのもの」が芸術を創造し、享受することの根源にあるのであれば、見過ごしがちな日常のなかのある瞬間の風景を見過ごさないようにしなくてはならない。そこには芸術へと向かうための「希望」が横たわっている。
『われわれの人生には、いくつかの決定的な瞬間がある。一日のうちにもそんな瞬間がある。日常を超えた何かを見たように思える瞬間。それは最高に幸せになれる瞬間だ。人が偉大な叡智に触れる瞬間といってもいい。人が見たものを、なんらかの記号によって再現出来ないものだろうか。そんな希望のなかから、芸術は生まれた。』
(『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ)
芸術家ヨーゼフ・ボイスが、その人生で多大なる影響を受けた彫刻家ヴィルヘルム・レームブルックの作品と対峙したとき『私は炎をみた』という。その「炎」とは、作品という「記号」によって「再現」されたレームブルック自身の「決定的な瞬間」が、ボイスの「瞬間」に引火し立ち上った爆炎だ。ボイスは続ける。
『その炎を守れ。なぜなら人は炎を守らないからだ。そう、人がかきたてた炎を風が簡単に消してしまうだろう。もっと燃やせ。お前のあさましい心よ。苦境の前で黙ってしまうのか。』
(『評伝ヨーゼフ・ボイス』ハイナー・シュッタヘルハウス)
芸術が感動や興奮を与えてくれる一方で、その言葉の多義的な響きに息苦しさを感じてしまうことがある。そんな時に「生きること」を中心としたあらゆる時と場所に、スポットライトを当ててくれる偉大な先人たちの眩い言葉に胸が熱くなる。この瞬間の熱量が、芸術の〝火種〟が確かに此処にあることを示している。